芥川之刹那的人生
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作者
芥川龍之介
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地域
中央区・墨田区・豊島区・北区
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芥川龍之介生誕の地
- 東京都中央区明石町1ー23
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01 芥川龍之介生誕の地
このスポットについて
芥川は、牛乳屋「耕牧舎」を経営する新原敏三の長男として生まれました。夏目漱石の門下で、『鼻』『羅生門』『河童』などの多くの文学作品を世に残しました。
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01 芥川龍之介生誕の地
僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。
『点鬼簿』より
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02
芥川龍之介育成の地
- 東京都墨田区両国3ー21ー18
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02 芥川龍之介育成の地
このスポットについて
芥川が生まれたのは現中央区明石町でしたが、母親が病気のため、両国に住む伯父の芥川家の養子となりました。生後七ヵ月から十九歳まで、両国で住ごしました。多感な時期を江戸情緒あふれるこの地域で過ごしたことは、彼の作品にも影響を及ぼしたことでしょう。
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02 芥川龍之介育成の地
僕は昔の両国橋に――狭い木造の両国橋にいまだに愛惜(あいじやく)を感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかゝつてゐた。僕は時々この橋を渡り、浪(なみ)の荒い「百本杭(ひやつぽんぐひ)」や芦(あし)の茂つた中洲を眺めたりした。
『本所両国』より
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03
芥川龍之介旧居跡
- 東京都北区田端1ー19ー18
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03 芥川龍之介旧居跡
このスポットについて
芥川は東京帝国大学英文科に入学し、ここに養父母らと一緒に住んでいました。芥川家は、もともと本所小泉町にありましたが、一九一〇年(明治四十三年)の秋、内藤新宿二丁目に引っ越していました。
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03 芥川龍之介旧居跡
――こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
『鼻』より
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04
浅野屋
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04 浅野屋
このスポットについて
芥川が通っていたと言われているそば屋です。今もかわらぬ味を楽しみましょう。
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04 浅野屋
芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支(さしつかへ)ない程であつた。
『芋粥』より
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05
天然自笑軒跡
- 東京都北区田端1ー17
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05 天然自笑軒跡
このスポットについて
養父の知人が営んでいた店です。芥川はここで妻・文と結婚式を挙げました。
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05 天然自笑軒跡
下人の行方は、誰も知らない
『羅生門』より
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06
田端文士村記念館
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06 田端文士村記念館
このスポットについて
芥川はじめ、さまざまな文豪たちの歴史を学ぶことができる記念館です。定期的に芥川にちなんだイベントも無料で開催されています。
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06 田端文士村記念館
唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色に見えました
『地獄変』より
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07
芥川龍之介の墓
- 東京都豊島区巣鴨5ー37
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07 芥川龍之介の墓
このスポットについて
芥川が愛用した座布団のサイズに合わせて石を切り出してあります。長旅ご苦労様でした。芥川龍之介の人生は短く濃厚な時間であったと思います。ぜひこれをきっかけに、彼の作品にも触れてみてはいかがでしょうか?
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07 芥川龍之介の墓
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
『蜘蛛の糸』より
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