東京遺産

時代の変化や後継者不足で消えつつある日本の伝統文化。そんな「後世に伝えたい古き良きもの」は東京にもある。職人たちのプロモーションムービーを制作し、仕事に対する思いを語るインタビューコンテンツと共に、Webサイトで紹介します。

取材先案

① 毛抜き(倉田製作所)

毛抜きの歴史は、ハサミやカミソリが日本に伝わるよりも古く、その原型は二枚貝を用いたものといわれています。枕草子の七七段に「ありがたきもの。・・・毛のよく抜くるしろがねの毛抜き。」とあるように、平安時代には金属製の毛抜きが既に存在していました。室町時代には庶民の間にも広まり、江戸時代には現在のものとほぼ同じ形の毛抜きが使われていました。

倉田製作所の初代「倉田米吉郎」は、幼小11歳の時に浅草で五代続いた毛抜き職人「大沢角久」に徒弟奉公、毛抜き職人の道に入りました。当時浅草には毛抜き鍛冶と呼ばれる職人が多数いましたが、関東大震災、太平洋戦争でその数が激減する一方、米吉郎は6男5女の子供をもうけ、長男福太郎をはじめとする男子6人全員が毛抜き職人の道に入り、戦後の刃物業界では倉田一族として名を馳せました。

・倉田 義之(三代目)
昭和8年、先代福太郎の長男として生まれる。12歳で戦災にあう中、中学に通いながら仕事を手伝い、卒業後本格的に職人としての道に入る。現在、江戸本手打ち毛抜きの技術を受け継ぐただ一人の職人である。
平成9年  荒川区より伝統工芸技能功労賞を受賞。荒川マイスターとして表彰
平成20年 東京都より東京都知事賞を受賞。東京マイスターとして表彰

 

② 結桶(桶栄)

「結桶(ゆいおけ)」とは、短冊状の木と木をぴったりと合わせ、箍(たが)で締めて作った容器。明治20年に桶栄を創業した川又新右衛門から数え、現在で四代目となる川又栄風が門外不出・一子相伝の技術を受け継出でいる。

 

③ 梅ジャム(梅の花本舗)

昭和22年に梅の花本舗を創業した高林博文が唯一の製造者。